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南関東競馬の歴史、名馬、魅力

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2024年08月26日競馬情報

日本における競馬は主に土日に開催されている中央競馬に対し、平日に全国どこかで開催されている地方競馬がございます。その中でも最大の規模を誇るのが大井競馬場、川崎競馬場、船橋競馬場、浦和競馬場の4つの競馬場であり、その総称は南関東競馬(または南関競馬)と呼ばれています。今回は南関東競馬の成り立ちや歴史、各競馬場から生まれた名馬、その魅力を説明していきます。

南関東競馬とは?

南関東競馬はその名のとおり、南関東における競馬場で、大井競馬場、川崎競馬場、船橋競馬場、浦和競馬場の4つの競馬場の総称です。JRA(日本中央競馬会)が主催する中央競馬に対し、各地方自治体の競馬組合が管理・運営しているのが地方競馬で、南関東4競馬場もそのように施行されています。土日以外の平日開催が一般的で、同時開催ではなく、事前に決められた年間スケジュールに沿って持ち回りの単独開催で行われています。それゆえ所属する競馬場は違っても、出走する競走馬や騎手の移動が非常に活発で、各競馬場におけるコース適性などファンが楽しめるシステムとなっています。それでは南関東4競馬場がどのように誕生して、これまでどういった歴史を歩んできたのか、ご紹介していきます。

南関東4競馬場の成り立ち

日本では太平洋戦争以前から競馬が存在していましたが、主に軍馬の生産・育成を目的とされたものでした。戦後日本全国に多くの競馬場が誕生したものの、新しい公営競技である競輪や競艇に比べて立地が悪く、売り上げが伸びないこともあって、公共交通機関のアクセスが良い都市部への移転が進められていきました。

南関東4競馬場の開場はそれぞれ以下のとおりです。

浦和競馬場(1947年開場)

浦和競馬場は戦前から存在した粕壁競馬場から移転し、1947年10月5日に浦和市(現さいたま市)の浦和記念公園内にて開場しました。戦後の現行競馬法に基づいて、地方公共団体の主催で最初に開催された競馬場となります。

川崎競馬場(1949年開場)

川崎競馬場は前身が横浜市にあった戸塚競馬で、1949年に開設され、1950年1月25日に第1回県営川崎競馬が開始されました。第1回開催はのべ6日間の開催で入場人員51,422人、売得金82,150,200円を記録しました。

大井競馬場(1950年開場)

大井競馬場は東京都八王子市にあった八王子競馬場が前身で、1950年5月2日に現在の品川区勝島の地にて開場。同年9月には日本初のゴール写真判定装置が導入され、11月に第1回区営競馬が開催されました。

船橋競馬場(1950年開場)

船橋競馬場は1950年8月21日に現在の船橋市若松にて開場。千葉県には戦前から柏市に柏競馬場が存在していましたが、1950年2月が最後の開催となり、1952年に閉場。船橋競馬場へと受け継がれました。1978年からは柏競馬場の名を冠した「かしわ記念」が開催されています。

以上のように4競馬場ともに1950年には戦前からあった競馬場が現在の地に移転されて、開催が始まりました。そして、54年に関東地方競馬組合が設立され、4競馬場の主催者間の調整が行われることになりました。翌55年には南関東競馬として重賞制度の運用を開始東京大賞典(当時は「秋の鞍」の名称で創設)などの大レースもスタートしました。

時は高度経済成長期の真っ只中。1955年には4場合わせて90億円ほどだった売上が5年後の60年には200億円近くと倍増し、69年にはついに1,000億円の大台を突破するまでに成長していきます。

また、南関東競馬黎明期には中央競馬に先駆けて、新しい技術が取り入れられていきました。1948年3月にはスターティングゲート1950年4月にはパトロールフィルムを導入し、競馬開催の公平性の担保に努めてきました。また、馬券発売におけるトータリゼーター(勝馬投票券売上高表示機)の導入も、1956年9月の浦和競馬が日本初でした。

生産の面でも大井競馬がオーストラリアから1952年に牝馬を30頭、1953年には牡馬6頭・牝馬14頭を独自に輸入。競走馬のレベルの向上を図っていきました。大井競馬では64年の東京オリンピックに向けて、1961年に第1回オリンピック協賛競馬を開催。この協賛競馬はオリンピック開催まで7回開催され、盛り上がりを見せていきました。

1970年代に入り、1972年に大井競馬場でハイセイコーがレコード勝ちデビュー。空前のハイセイコーブームとなり、1973年には総売上が2,000億円を突破します。スターホースの誕生とともに活況を見せる南関東競馬。それではハイセイコーを含めて、南関東競馬に名を刻んだ名馬を紹介していきましょう。

大井、川崎、船橋、浦和各競馬場に名を刻んだ名馬たち

大井競馬から誕生した元祖アイドルホース、ハイセイコー

オールドファンのみならず、ご年配の方ならほとんどその名を知っているハイセイコー。大井競馬の伊藤正美厩舎所属となった同馬はデビュー前から評判となり、当初予定されていた1972年6月の新馬戦が回避馬の続出により不成立となってしまうほどでした。ようやく迎えた7月12日1000mの新馬戦は減量騎手だった辻野豊騎手(現調教師)を背に8馬身差の快勝。2戦目からは福永二三雄騎手(元調教師)に手綱が替わり、16馬身差、8馬身差、4戦目のゴールドジュニアーでも10馬身差をつけて4連勝。勝ち時計は1分24秒9(1400m)のレコードと圧倒的なスピードで連勝を重ねていきます。

人気もうなぎ昇りで、大井競馬場には多くのファンが殺到する事態となりました。福永騎手から手綱を引き継いだのは高橋三郎騎手(元調教師)で、5戦目の白菊特別も7馬身差の快勝。そして大井競馬での最終戦となる11月27日の青雲賞も7馬身差の圧勝。翌年から中央競馬に転入するため、大井の地に別れを告げました。中央競馬に入ってからも連勝が続き、デビューから9連勝で皐月賞制覇。日本ダービーはタケホープの3着と初黒星を喫しましたが、菊花賞では2着。古馬になってからも宝塚記念優勝、ラストランとなった有馬記念で2着など、芝でも活躍を見せたハイセイコー。中央競馬で手綱をとり続けた増沢末夫騎手のヒット曲「さらばハイセイコー」が有名ですが、その原点は大井競馬場にあったのです。種牡馬としても、カツラノハイセイコが日本ダービーを制覇するなど活躍馬を輩出しました。

大井競馬における出走期間はわずかに4か月半と短かったですが、社会に与える影響は大変なもので、第1次競馬ブームの火付け役となりました。地方から中央へ、自分の人生と重ね合わせてハイセイコーを応援するファンが多かったのです。1984年には「競馬の大衆文化への大きな貢献」が評価されて、JRA顕彰馬にも選出されました。大井最後のレースとなった青雲賞はハイセイコーが亡くなった翌年の2001年からは「ハイセイコー記念」と改称され、今も大井競馬にその名を刻んでいます。

川崎競馬が生んだ最強牝馬、ロジータ

オグリキャップが笠松競馬場から中央競馬入りした1988年に川崎競馬場でデビューし、翌89年に牝馬では唯一南関東三冠を達成したロジータ。川崎競馬の福島幸三郎厩舎に入厩し、野崎武司騎手(その後も引退まですべて主戦)を背に新馬戦を勝利。2歳シーズンは4戦2勝と目立たない成績に終わりますが、翌年に入ると年明けのニューイヤーCを快勝。続く牡馬混合の京浜盃も勝利し、一躍世代トップクラスの評価を受けることになります。

南関東牝馬三冠の第1戦・浦和桜花賞を快勝して陣営は牝馬三冠ではなく、牡馬混合の南関東三冠を目指して大井の羽田盃へと駒を進めます。当時の羽田盃は2000m戦で、ロジータにとっても初めての距離でしたが、1番人気に応えて勝利。続く東京ダービー(当時は2400m)も快勝して、二冠達成。初の古馬との対戦となった報知オールスターカップでは2着に敗れますが、この時点で南関東最強クラスと目されることになりました。

秋初戦は中央地方交流競走のオールカマーに出走。オグリキャップと対決しますが、5着に敗退。しかし、当時の三冠最終戦だった東京王冠賞(2600m)では見事1番人気に応えて勝利。現在でもロジータしか成しえていない牝馬による南関東三冠制覇を達成しました。続くジャパンカップでは15着と大敗しましたが、圧巻は1989年末の東京大賞典、そして現役ラストランとなった翌90年の川崎記念です。東京大賞典は2着に0秒7差、川崎記念は1秒6の大差をつけて持ったままでの圧勝劇でした。川崎記念では当時の川崎競馬場の最多入場人員を記録、多くのファンにその強さを見せつけました。

早めに繁殖入りしたロジータは母としてカネツフルーヴ(川崎記念、帝王賞など優勝)、孫の世代ではレギュラーメンバーと3世代による川崎記念制覇を達成。「NARグランプリ2003」において特別表彰馬に選定されました。現役引退した1990年からは暮れの川崎競馬の牝馬限定重賞「ロジータ記念」が開催され、今なお川崎競馬にその名を残しています。

今後も語り継がれる帝王賞の死闘、アジュディミツオー

1995年から中央競馬・地方競馬間で大規模な交流開放が行われ、JRAのダート強豪と地方競馬のトップホースとの対決が多く見られるようになりました。南関東競馬において数多く繰り広げられた地方馬対中央馬の名勝負において、真っ先に紹介したいのが2006年の帝王賞です。1番人気に支持されたのは武豊騎手騎乗のカネヒキリ。前年のジャパンダートダービーを圧勝し、秋のジャパンカップダートでは古馬や外国馬相手に勝利。この年も初戦のフェブラリーSを快勝し、前走のドバイワールドカップでは4着と世界の強豪相手に上位に入る活躍を見せていました。

2番人気は船橋・川島正行厩舎所属のアジュディミツオー。デビューから無傷の4連勝で2004年の東京ダービーを制覇したものの、続くジャパンダートダービーは4着と敗退。同年秋のJBCクラシックでは2着と好走し、暮れの東京大賞典でG1初制覇を飾ります。4歳シーズンは勝てないレースが続くも東京大賞典で連覇を達成。迎えた5歳は川崎記念、マイルグランプリ、前走のかしわ記念と3勝。内田博幸騎手を鞍上に帝王賞を迎えました。

両馬はこれまで3度対戦し、いずれもカネヒキリが先着。4度目の舞台は大井競馬場2000m。スタンドに詰めかけた大観衆の前で名勝負が始まります。

好スタートからスムーズにハナに立ったアジュディミツオー。対するカネヒキリは内の3番手で脚を溜めます。3コーナーから引き離しにかかるアジュディミツオーに対して、絶好の手応えで差を詰めていくカネヒキリ。4コーナー手前で早くも2頭のマッチレースを予感させます。直線に入って馬体を弾ませて迫ろうとするカネヒキリに対して、2段ロケットのように再加速するアジュディミツオー。「勝ちたい内田、負けられない武豊」の実況にあるようにゴールまで続いた追い比べはアジュディミツオーに軍配。YouTubeのTCK東京シティ競馬の公式チャンネルにも「平成の激闘をもう一度」として動画がありますので、ぜひ映像でご覧いただきたい一戦です。

アジュディミツオーは帝王賞の勝利で南関東古馬G1を完全制覇。川島正行厩舎は他にも帝王賞、川崎記念、かしわ記念など制したフリオーソを管理するなど、一時代を築く存在となりました。また、船橋競馬では1990年代後半に帝王賞、川崎記念、かしわ記念(当時G3)、東京大賞典等を制してダート最強と評価されたアブクマポーロ、2001年に史上初無敗での南関東三冠を達成し、続くジャパンダートダービーも制覇して四冠馬となったトーシンブリザードなど、南関東競馬を代表する名馬が生まれました。

浦和開催のJBCスプリントで差し切り勝ち、ブルドッグボス

2012年から昨年23年まで12年連続で南関東リーディングトレーナーに輝いているのが浦和競馬の小久保智(さとし)調教師です。2015年に東京ダービーを制したラッキープリンス、18・19年にテレ玉杯オーバルスプリントを連覇したノブワイルド、21年の羽田盃を優勝したトランセンデンスなど浦和だけでなく、他場のビッグレースでも活躍馬を送り出しています。

2019年には地方競馬の祭典、JBC競走が浦和競馬場で初めて開催され、JBCスプリント(1400m)には小久保厩舎から4頭が参戦。逃げたいノブワイルドにファンタジスト、コパノキッキングが絡んでいって息の入らないレース展開に。4コーナーで先頭に立ったコパノキッキングが振り切りにかかるところをゴール前で強襲したのが小久保厩舎のブルドッグボスでした。

ブルドッグボスは中央競馬のデビューで、5歳時に小久保厩舎へ転厩。転厩2戦目に盛岡のクラスターCを制するなど、新天地で力を付けていきました。7歳で迎えた地元のJBCスプリント。前走の東京盃ではコパノキッキングに4馬身差をつけられた2着でしたが、御神本訓史騎手を鞍上に本番での逆転を果たしました。これが小久保厩舎にとってうれしいJpnI初制覇でした。2020年、引退レースとなった地元ゴールドCで有終の美を飾り、種牡馬入りしたブルドッグボス。今後も小久保厩舎の所属馬からは目が離せません。

南関東競馬の魅力とは

バブル崩壊後の不況により売り上げが落ち込んでいた南関東競馬も各競馬場の連携強化とネット投票の普及によって、盛り返してきました。2020年以降のコロナ禍によって一層競馬のネット投票の割合が増え、売り上げが伸びています。

楽天競馬では地方競馬の全レースの馬券購入が可能。楽天銀行の口座開設が必要ですが、馬券購入によって得られるポイントの還元率が高く、新規加入者に向けたお得なキャンペーンも豊富です。また、楽天競馬ではYouTubeにて南関東競馬の重賞を予想・配信する「天国と地獄」などの番組もお届けしています。自宅でも外出先でも気軽に予想し、馬券を購入、ネットでレース映像を観戦する環境は一昔前とは比べものにならないほど充実しています。

ただし、南関東競馬の魅力はネットの中だけではおさまりません。実際に競馬場へ行って、生でレースを見ることが競馬の醍醐味といえるでしょう。ナイター競馬を船橋競馬場では通年、大井競馬場と川崎競馬場では4~12月にかけて実施、仕事終わりや会社帰りに夜風に吹かれながら見るレースは格別です。またスタンドで売られている競馬場グルメも現地観戦の大きな魅力で、ビールを片手に煮込みやモツ焼き、焼きそばやラーメン・タンメン、カレーなどそれぞれの競馬場の味を堪能するのも実に楽しいものです。平日の空いている時間にフラッとそれぞれの競馬場へ足を運んでみるのもいいのではないでしょうか。

2023年は大井競馬所属のミックファイアが2001年のトーシンブリザード以来22年ぶりに無敗での南関東三冠を達成し、大いに盛り上がりました。ただし、2024年からダートグレード競走の国際競走化に向けて南関東三冠を廃止。中央地方交流のダートグレードへと生まれ変わり、羽田盃、東京ダービー、ジャパンダートクラシックで三冠を競う3歳ダート三冠となりました。羽田盃はアマンテビアンコ、東京ダービーはラムジェットとJRA勢が制覇。2024年秋の10月2日(水)に行われる三冠最終戦のジャパンダートクラシックがどのような結果になるのか、南関東競馬所属馬の巻き返しがあるのかにも注目したいところです。

楽天競馬などネット投票で楽しむもよし、競馬場へ行って現地観戦するもよし、この先も南関東競馬を楽しんでいきましょう。